English English Japanese Japanese 岩本寺に泊まる | !SHiMANTO 四万十町
岩本寺 岩本寺

POPアートに包まれる「SHETA'sROOM」、星空や境内を望む「TERA SAUNA」、お寺敷地内の「TERA CAMP」でのBBQや焚火は特別感いっぱい。TERA CAMP利用時もサウナやお風呂、宿坊での朝食や夕食も追加料金でゆっくりと宿坊感覚でご利用いただけます。車お遍路にも最適です。自分の世界観をお寺で見つけてみませんか。

宿坊で泊まる

"SHUKUBO"
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宿坊で泊まる

さまざまなアクティビティ、境内の見えるサウナでお寺の雰囲気も満喫できる 朝の法要にも参加しやすい敷地内の宿坊です。

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TERA CAMP

TERA CAMP

宿坊のお風呂やサウナ(別料金)
も楽しめる、プライベート感漂うお寺の敷地内寺キャンプです。
お寺備え付けのBBQや焚火セットがBBQ(別料金)ご注文時に無料で使用できます。
気軽にアウトドアも楽しめます。

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岩本寺の概要

四国霊場37番札所
清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されています。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされています。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていました。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置しました。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていました。

天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退しました。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承されました。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていました。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失いました。再建には苦難の道が続きましたが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っています。

境内の本堂には575枚もの現代画がプロ、アマの手により描かれ、清流殿には四万十川に架かる沈下橋が天井画に描かれています。また、境内や宿坊にはPOPアートが随所に描かれ、遍路による長旅にも明るさと元気をもたらしてくれます。ナチュラル(四万十川)、ウェルネス(癒し)、スピリチャル(お遍路)をキーワードにした滞在型体験プログラムもご用意しておりますのでお遍路以外でも是非、お立ち寄りください。

宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
開基:行基菩薩(寺伝)
創建:天平年間(729~749)(寺伝)
真言:不動明王 :なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん
   観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか
   阿弥陀如来:おん あみりたていぜい から うん
   薬師如来 :おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
   地蔵菩薩 :おん かかか びさんまえい そわか
寺色:黄色(お寺のイメージカラー)
住所:高知県高岡郡四万十町茂串町3−13
宿坊:定員40名 内個室4部屋(各2名定員)

岩本寺 岩本寺のアートを知る? 岩本寺って? 岩本寺 岩本寺

岩本寺7不思議

37番札所の岩本寺は高知県の足摺岬に近い所に位置します。
岩本寺には弘法大師にまつわる七不思議が残っています。

三度栗
(さんどぐり)

栗を一年に一度ではなく、何度も食べたいという子どものために、弘法大師が歌を詠みました。すると、栗の木は子供がとりやすいように低くなり、一年に三度も実を付けるようになりました。また、栗の実は甘く、イガは柔らかくなったと言います。栗の季節には門前の「松鶴堂」にて三度栗を模した和菓子が販売される。

子安桜
(こやすざくら)

岩本寺の桜の木の下で妊婦が苦しんでいると、大師が祈祷をして無事に出産させることができました。現在、岩本寺にある子安桜は安産祈願のお守りとして信仰されています。

筆草
(ふでくさ)

筆の形をした草が生えています。これは大師の持っていた筆が地面に落ち、そこから生えた草だと言われています。「弘法筆を選ばず」というように、弘法大師は書の達人です。そのため、この草を持っていると字が上手に書けると言われています。一説によると筆草は土筆とも考えられており、春先には四万十川に生える土筆を採取して宿坊での料理や写経を愉しむことのできる体験プランもございます。

口なし蛭
(くちなしひる)

田植えの際に農民が蛭に血を吸われて困っていた。すると、大師が蛭の口を無くしてくれました。

桜貝
(さくらがい)

大師は岩本寺の近くの浜に桜を植えました。しかし、数年後に大師が再び訪れた時には桜の花が散っていました。そこで大師は歌を詠むと、浜にいた買いが桜の色に変わりました。現在でも岩本寺の近くの浜では桜色の解が見られます。

伊予木川の貝
(いよきがわのかい)

大師が川を渡った時に貝が足に刺さりました。そこで次に渡る人がけがをしないように、貝のとがった部分を取ってしまいました。

戸立てずの庄屋

盗人に家を荒らされ、庄屋が困っていました。そこで、大師が祈祷をして泥棒が入らないようになりました。そのため、戸締りをしなくても良くなってしまいました。

特別結緣
特別結緣
(こうぼうりしょう)

お大師さま(空海上人)は九二一年(延喜二十一年)十月二十七日「弘法利生」の業績から、弘法大師の諡号を賜りました。令和二(二〇二〇)年はお大師さまが諡号を賜って一一〇〇年目記念の年になります。「南無大師遍照金剛」のご宝号はお大師さまが弘法大師の諡号を賜ったころから始まったと伝えられております。お大師さまのゆかりの地であり、お大師さまや仏さまをより身近に感じられる場所として、多くの方が現在でも遍路されている四国八十八ヶ所霊場では、このことを記念し、お大師さまの尊像に善の綱を繋げました。お大師さまからの善の綱は五 鈷杵に繋がっております。「南無大師遍照金剛」のご宝号念じながら、この五鈷杵に触れていただき、お大師さまとのご縁をより深くしていただければ幸いです。

特別結緣
金剛杵(五鈷杵)のいわれ

金剛持とは元々は堅固であらゆるものを打ち砕くといわれる古代インドで使われていた武器のことです。
密教では、この金剛性を煩悩の底を打ち砕く堅固である著提んねの智慧の象似と考えてきました。このことから、古来より金剛持で加持をすれば、仏さまの加持力で煩悩に代表される様々な悪魔が降伏するといわれております。
どうぞこの金剛持を仏さま、お大師さまを念じながらでて仏さまのご利益をお受けください。
そして皆様の中の菩提心の輝きが大きくなることをお祈りします。

特別結緣
第三十七番札所 藤井山 岩本寺

岩本寺では五等の本尊を祀っています。寺伝によれば、聖武天皇の勅命を受けた行基が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西の仁井田明神の修に建立した福圓満寺が前身とされています。仁井田明神の別当寺であったことから、仁井田守とも呼ばれていました。
空海がこの寺を訪れたのは弘仁年間、空海は一社に祀られていた仁井田明神の御神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置 しました。空海は、さらに末寺五ヶ寺を建立したとされ、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていました。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまいます。再建の際に、この地域の全ての神社を管像下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職はされ、継水されてきました。戦国・江戸時代には武将や帯主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇りましたが、明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴い寺領地の大半を失ってしまいます。その後、少しずつ再建が進み、現在に至っています。

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